台北駅、最終列車

残響室

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深夜の台北駅だった。

その日は台北で知り合った台湾の人たちと飲んで、酔っぱらってしまった。
中壢駅近くのホテルに戻るために、最終列車に乗らなければならなかった。

駅まで走る。
やらかしたと正直思った。

エスカレーターを下り、改札に向かう。
ICカード(悠遊カード)をタッチした、その瞬間。
「残高不足」の文字が光った。

ピッ、という軽い音と一緒に、
ゲートは開かなかった。


ほんの数秒、頭が真っ白になった。

時間は、もう遅い。
次の電車を逃したら、ホテルには帰れないかもしれない。
券売機に並んでる暇もない。
そもそも、台湾元の現金は、ほとんど使いきっていた。

カードを見て、改札を見て、固まってしまった。
ああ、どうしよう、って顔をしていたと思う。


そのとき、改札の脇にいた駅員のおじさんが、
私の様子に気づいて声をかけてきた。

私はつたない英語で、「残高がなくて……」と伝えた。

言葉はきっと完全には通じていなかった。
でも、おじさんはにっこりと笑って、こう言った。

「大丈夫、そのまま乗っていいよ」


たったそれだけのひとことだった。

でも、あのときの私には、ものすごく響いた。
体の力がふっと抜けて、
安心したと同時に、少しだけ泣きそうになった。

観光地の派手な歓迎でもなく、
サービスの一環としての親切でもない。

ただ一人の人間として、
「困ってるなら、大丈夫だよ」と言ってもらえた気がした。


思えば、最後の電車にちゃんと乗れるか不安になるなんて、
たいしたことじゃないのかもしれない。

でもその瞬間の私は、
なんだかとても脆くて、弱くて、
助けを求めることすら、ためらっていた。

そんな自分に向けて、
あのやさしいひとことが届いた。

「大丈夫、そのまま乗っていいよ」


旅先では、たくさんの景色や味や出会いがある。
でも、あとからずっと残るのは、
誰かのふとしたひとことだったりする。

その一言が、心の奥で何度も思い出されて、
時間が経ってからじんわりと効いてくる。

あの台北駅の改札の前で言われたことばは、
私の中に「響き」として残っている。


いつか誰かに、同じようなことができるといいなと思う。
言葉の意味よりも、その伝え方や、
その場にいる“まなざし”そのものが、
相手を救うことがある。

私はもうあの駅員さんに会うことはないかもしれないけれど、
あの「大丈夫」は、これからも私の中に残り続ける。

静かで、小さくて、でも確かにあたたかい。
あれは、忘れられないひとことだった。