「人に任せてはいけません」
そう言うと、
なんでもかんでも自分ひとりで抱え込め、という話に聞こえてしまうかもしれない。
でも、私がこの言葉をよく思い出すのは、
むしろ“ちゃんと任せるためにどうすべきか”を考えるときだ。
これは、かつて仕事をフルでやっていたころ、
何度も自分に言い聞かせていた言葉だ。
今はもう、その頃のような緊張感からは離れているけれど、
それでもふとした瞬間に、この感覚が顔を出す。
たとえば──
誰かに夕飯の支度をお願いするとする。
食材は傷んでいないか。
火はちゃんと通っているか。
まな板や包丁は清潔に戻されているか。
盛りつけは? 味は?
あとから全体を見て、「これは大丈夫そう」と判断できるのは、
自分の中に“料理とはこういうもの”という大まかな地図があるからだ。
つまり、「任せる」っていうのは、
**“把握していることにしか、できない”**ということなんだと思う。
仕事でも同じだった。
自分が内容を理解していないこと、
どこをどう確認すればいいかもわからないことは、
人には任せられなかった。
任せたふりはできても、任せた責任は取れない。
だから私は、任せる前に必ず、最低限は自分で理解しておくようにしていた。
できなくてもいい。
でも、「どうなっていたらOKなのか」だけはわかっていないといけない。
その感覚がないまま誰かに任せてしまうのは、
ただの丸投げだし、無責任だし、
結局は自分が困ることになる。
「わかる」と「できる」は、まったく別物。
私は、現場で一つひとつを器用にこなすタイプではなかった。
でも、全体の流れを把握し、どの部分が大事かを見極めることには、ずっとこだわっていた。
仕事って、分野がどんどん増える。
できるようになるのを待っていたら、追いつかない。
だからまず、“全体を知る”ことから始める。
それが、私なりのやり方だった。
いまはもう、あの頃のような役割からは降りた。
けれど、そのとき身についた感覚は、どこかで今も支えてくれている気がする。
誰かに何かをお願いするとき、
無意識に「自分はそれを理解してるか?」と問い返してしまう。
それはきっと、悪い癖じゃない。
「人に任せてはいけません」というのは、
すべてをひとりでやれという話じゃない。
むしろ、**「ちゃんと任せるために、ちゃんと知る」**という姿勢のこと。
そう思っている。
仕事を離れた今でも、その感覚は身体に残っていて、
たぶんこれからも、
何かを誰かに託すたびに、私は同じことを思い出すんだろうと思う。