ダイアログ・イン・ザ・ダークというイベントに参加した。
完全な暗闇の中で、視覚を封じられたまま、
手触りや音、空気の変化を頼りに過ごす体験型のプログラムだ。
「日常生活では味わえない、特別な時間」
そんな説明を聞いて、少しだけ身構えていた。
でも、実際に暗闇に入ってみると──驚くほど早く、慣れた。
最初こそ、少し緊張した。
けれど、手探りで空間を確かめ、
声の方向から人の存在を想像し、
足元の傾きや空気の厚みに耳を澄ませているうちに、
「あ、もう大丈夫だ」と思っていた。
何も見えないことに、思ったよりあっけなく順応していた。
むしろ、「ああ、これか」と思った瞬間、
その暗闇は“特別な空間”ではなくなった。
帰り道、こんなふうに思った。
「私はたぶん、“慣れる”のが早いのだ。
そして、“慣れたあとの世界”に、すぐ飽きてしまう。」
新しい場所に行くときも、
知らない人と話すときも、
最初の数分だけは緊張する。
でも、その空間のルールや輪郭が見えてしまえば、
もうそれ以上、深く潜ることはない。
わかったふりをして、整理して、安定してしまう。
「わからなさ」や「新しさ」に長くいられない。
それが、私という人間の性質なのかもしれない。
今回の暗闇の体験は、
「何も見えない」というはずの空間で、
逆に自分の“感覚の鈍さ”を突きつけられた気がした。
もっと戸惑うと思っていた。
もっと驚いたり、感動したりするはずだった。
でも、私は「ああ、こういうことね」とすぐに理解したふりをして、
そのまま次に進んでしまった。
生活の中でも、
人との関係の中でも、
何かを始めた瞬間から、もう終わりの予感がある。
慣れて、整理して、次の展開が見えてしまう。
それは便利だけれど、
同時に、感じることを置き去りにしてしまう。
ダイアログ・イン・ザ・ダークは、
“感覚を開く体験”のはずだった。
でも、私にとってはむしろ、
「自分がどうやって閉じていくのか」を知る時間になった。
私はこれからも、たぶんいろんなことにすぐ慣れて、
そして、すぐ飽きる。
それが悪いとは思わない。
でも、やっぱり少しもったいない。
だからせめて──
慣れる手前で、ほんの少しだけ立ち止まりたい。
もう少し長く、とまどってみたい。
すぐに答えを出さずに、
曖昧なままの時間に、とどまってみたい。
感じることを急がず、
何かがほどけるまで、もうすこし、そこにいる。
その先にしか出会えない何かを、
ほんとうは私はずっと、待っている気がする。